習慣化させることについて

昨日の夜更かしがたたって、今朝は12時までベッドでウダウダしてた。
ここ3年くらい、曜日感覚のない生活が続いている、
とはいえ今年に入ってから日曜日を完全に休みの日として、ウィークデイに仕事をするよう心掛けてはじめた。


以前、わたしの仕事は洋服を作ることだと思っていたが、
ここ最近になってようやくブランドを運営することが仕事なんだという認識が生まれた。
フリーランスと自営業の違いはわからないが、自分で仕事を獲得してくることという部分で共通点があると思う。
そして会社員との違いは、運営にかんする方針を決める部分を担っているか、いないかなんだろうと思う。
わたしは少し前まで会社員的な考え方で仕事をしていたところがあった。
もしくは仕事というよりも自分の趣味と混同していたのかもしれない、なので運営の基盤となる方針を決めていなかったし、方向性すら具体的にしてなかった。
ただオファーに対して好きか嫌いかで判断をして、今後なにをしていくか、そのために何が必要なのかという部分を考えていなかったと思う。
いつも人とは違う新しいことがしたい、新しいデザインが作りたいと、既存のデザインを販売し続けることを疎かにしてクリエイターもどきな働き方をしていた。
もどきというのにも理由はある、
クリエイターは作り上げることが求められる、どこで終わりにするかを決めてそこまでプロジェクトを動かしていく必要がある。
わたしの場合は、終わりにまでたどり着かないアイデアを山積みにしただけだった。
だからこそのクリエイターもどきなのだ。
ようやく意識が変わり始めたのがここ数か月前、友人の成長を目の当たりにして、

いつからわたしのブランドは成長していないんだろうという疑問が生まれた。
始まりは約4年前、2017年から少しづつアイデアを詰めて、2018年末にようやく初めてブランドとしてイベントに参加し、そこからはあっという間にブランドが認知されるようになった。
少し有名になるとたくさんのオファーがやってくる、その時わたしにはそれを受けるだけの準備が整っていなかった。
普通ならば今出来る限りの対応する、順応するところだが、わたしはその真逆を選んでいた。

準備ができていないから、出来ない。
これは昨日のラロの思考回路に似ている、
なんで出来る方法を見つけないの?と彼に対してした質問を過去のわたしにするべきだったんだろう。
人間の思考癖とは思った以上に厄介なのかもしれない。
頭でわかったつもりでいても体が納得していないと、理解してるのに行動に移せないというもどかしい状況に陥る。
ラロが言っていたことと一緒だ。
頭ではわかっている「出来るということ」
でもなぜか「難しい」という言葉が少しでも頭をよぎると、出来ない方を選んでしまう。
今わかることは、わたしの頭は準備が整っていなかったんだろう。
準備の整った思考とは、
その時点で出来る部分とでできない部分を判別し、どのような方法で達成可能にすることができるかを考えられる状態だと思う。
昨日そっくりそのままラロに説明していたから笑える。
ここでわかるのは以前のわたしも同じだったんだということ。
そして以前という言葉を使っている時点で、その思考回路は昔のものとなっているのかもしれない。
今と昔を隔てるものは、自分の思考なんだろう。
悪い記憶を引きずるのも自分の頭であって、だれかの頭ではない。
良い記憶に変えるのも自分であって、誰かではない。
もちろん誰かの中では、過去も今も変わらないのかもしれないが、自分の心や頭は自分で切り替えることが可能なんだと、
今更だけど、理解してきた感覚がある。
それには手前に行動があって、そのあとに意識がすり合わせをしてくれるんだと思う。
なので今は、目に見えることをほんの少しでもいいから動かしていくことを心掛けるようになった。
たとえば机の整理、
やる気が起きないから、やらない、そうするとどんどん山積みになっていく、そして次にやるときはもっと労力を要する。
それともやる気は起きないけど、5分はやってみる、すると5分動いただけ変化が見えるようになる。
人間とは単純なもので、視覚化できると、やる気が起こるものだ。
仕事がその典型で、自営業の場合、自分でやらなければ必ずツケがまわってくる。
翌日2倍の仕事をこなすか、またはまた次の日に繰り越すか、どちらにせよもっと働かなくてはいけなくなる。
これを何度も繰り返していたせいで、わたしはここ数年立ち止まっていたんだろう。
出来ることからコツコツと、とはよくいったもんだ、わたしは勝手に努力だけのことを意味しているんだと思っていた。
けれどこのことわざの真意は、習慣化なんだと思う。
出来ることからコツコツ日々続けていけば、いつからかそれが習慣となってやる気も必要なく自然に続けられるようになる。

思考回路はやったことから作られるのかもしれない。
頭でわかっていても、体が納得していないというのは経験がないが故なんだろう。
体験や経験をすることによって気づきとなり、腑に落ちる、
腑に落ちることによって思考が改変されていく、思考が切り替わることによって新しい動機が得られる、
新しい動機が行動を呼び起こして、これが続くことで習慣となり、成長となっていくんだろう。

1分×365日=365分
0分×365日=0分
-1分×365日=-365分

よく耳にする話だが、これ以上に分かりやすい例えはないだろう。
たった1日ではほぼ違いはない、でもたった1分でも毎日やれば年間で6時間以上に続けたことになる、ここでようやく大きな差となって現れる。
「1分」と「100分」の違いよりも「やる」か「やらない」かの違いほど大きいものはない。
さらに怠ければそれだけ時間を失っているという点にも気づかせてくれる。

これが友人とわたしの成長の差なんだろう。

昨日も書いたことだが、習慣化の大前提は苦なく続けられる状態、環境を作ることなんだと思う。
そして何より大切なのは一気にいくつものタスクに手を付けないこと。
多くのことをこなそうとすれば、スケジュールを立てる必要ができる、
そして本題に取り掛かる前から別のタスクが増えることによって、少し複雑になる、
それによってやる気が削がれる、もしくは億劫になるともいえる。
なので単純化させることが最重要になるんだろう。
よく耳にするのは作業を単純化することで続けられるようになる、トリガーを作ることで取り掛かりやすくする。
複雑にする前に終わらせることもひとつの手だろう。
なので今は壮大なアイデアを一気に終わらせたい自分のご機嫌をとりながら、地味な作業を繰り返すことで得られる達成感に思考をシフトしている。
毎日少しづつでも既存のデザインの服をコンスタントに作り始めてから、ショップでの売り上げが少しづつ上がっていること、
それが行動と結果の両方にリンクしたことによって、持続できるようになってきた。

とはいえ思考が先か、行動が先かという問題は、結局たまごが先か、鶏が先かと同じ問いになってしまうので答えはないが、
素早く考えて素早く行動してみる、これが最近見つけたわたしなりの方法だ。
考える時間を減らして、休んでみる、または考える時間にリミットをつける、そしてまずは動いてみる。
時間は投資した分だけ、未来に何かを与えてくれるように思う。
いままで無駄遣いした分だけ、これから先は良い時間の使い方を身に着けていこうと思う。
お金もそうだったらいいなー。